主体的に学ぶ「環境」を作ることが教師(大人)の仕事ではないだろうか。

教員1年目の時には、「こんなことを教えたい」「こんなことを伝えたい」ということばかり考えていてとにかく子供たちに対して、何かを教えなきゃと躍起になったものです。

もちろん何かを教えないといけないしそれが教員の仕事だとは思うのだけど、、、

教員6年目の今、何かすごい違和感に襲われながら授業をしたり、教員生活を送っています。

例えば、現在学校で行われている教育を見てみると「いい大学に行くため」が主になっていないだろうかと感じる。大学受験に合格するための勉強をしているせいで、大切なことをすっ飛ばしているように感じる。

「読解力」「創造力」「課題解決能力」などの勉強をすることで得られるはずの能力というものを最大限得られず、単なる「暗記」や「公式への当てはめ」などになっていないだろうか。

極論学校や塾で行う勉強の意味というのは、めちゃくちゃあると思うのだけど、目標設定や学ぶ意味を間違っているので得られる効果というものが少ないのではないかと思う。

という違和感を感じたことで私が最近考えたことは、教員の仕事は「教える」ことではなく、生徒が自ら「学ぶ環境を整える」ことではないかと思う。

これは、授業のみならず学校生活全てを含めた環境であるべきだと思う。

(そう考えると学習指導要領には立派なことが書かれているなと思う笑)

というよりも人に何かを「教える」なんてそんなたいそれたことできないなと感じただけです。それよりも子供というのは大人が思っているよりも、どんどん吸収して成長していくことに気づきました。

ただそれが自分の嫌いな方法や苦手な方法であるということではないかと思います。自分が嫌いなことや苦手なことをみんなと同じように一斉に教え込まされるという今の学校教育に違和感があるのです。

さかなクンは魚が好きすぎて大学の准教授にまでなりました。究極を言うと子供の好きや得意を最大限伸ばすことができる教育というものをこの国はやっていく必要があるのではないかと思います。

という私の違和感い関する投稿でした。

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