自分で考えず、与えられたことしかできない子供たち
みなさんこんにちはSHAKKUです!
今回は授業での生徒とのやりとりを紹介したいと思います。
先週の出来事ですが、修学旅行に行かなかった居残り組の授業を行なうことになった時の話。5人ほどの人数だったので、体育の授業を何か好きなことをやろうと提案したところ、「わからない」「何もしたくない」とのこと。
じゃあバドミントンをしようと提案すると、渋々やり始める。積極的にやるでもなくただ言われた通りにこなす。途中で飽きたのか「面白くない」「違うことやろう」と文句を言い出す。
思い切って、「よし!じゃあ自分の好きな運動をしていいぞ!卓球でもバスケでもバレーでも!」と提案すると、次は座り込んでおしゃべりを始めた。
私は去年から、「叱る」「怒る」という指導を意図的に辞めることにしている。授業時間はあと30分くらいあるが、どのような行動をとるのだろうと何も指示を出さずに観察をすることにしたが、結局そのまま30分が過ぎ去ってしまった。
半年ほど前にも似たようなことがあった。
体育の実技テストが終わり時間が少し余ったところ、一人の生徒が「ドッヂボール」をしたいと提案。私は許可する代わりに「ルールの設定を自分達でしよう!試合時間、外野の人数などみんなで決めて始めてください!」といったところ全く動けない。結局うやむやのまま始まってカオスなドッヂボールになっていた。
私が小学生の頃、休み時間のたびにグラウンドに出てドッジボールやサッカーをやっていたのだが、その時は先生はもちろんおらず自分達で「何をするか、ルールはどうか」など決めていたことを思い出した。
「今の学校教育では、大量生産型の同じような子供が育ち、自分で決定したり、選択できる子供が減っているような気がする」
似たような子供たちが大量生産され、自分で考えることをせずに、与えられたことには文句言いながら生きていく人間が世の中を見ていると多いような気がする。
世の中の大多数も人が当たり前だと思っていることをなんの疑いもせず過ごし、周りや国などに文句を言いながら生きる。
もちろん私も例外ではないだろうし、日本の教育を受けてきた人はそういう傾向が多いのではないだろうか?
なので私は学校生活の中でできるだけ生徒に自己決定をさせることを心がけている。「どうしたい?」「どうしたらいいと思う?」などコミュニケーションの取り方ひとつ、質問の仕方ひとつで生徒に自己決定を促すことができると思う。
教師という仕事はとても好きだが、日本の教育システムに疑問を抱いたまま働きたくないと思っているので、3年後教師を辞め、自分の作った畑で仕事をしたいなと考えている!(3年というのは単純にまだ自分の生活の基盤ができていないため、、、笑)
今後もこういう生徒とのやりとりを紹介していけたらなと思います。
最後まで見ていただきありがとうございます!